知らない人はいないBMWのデザイナーに日本人がいた〜永島穣二〜
皆さんはBMWという企業を御存知ですか?日本に住んでいる人でも、おそらく99%の人は知っているはず。
私は様々な車メーカーが存在する中で最も愛しているのがBMWです。時間のある時によく80年代以降の車を見ていますが、BMWはずっと一貫しています。キドニーグリルやL字型のリアコンビネーションランプなどデザインはもちろんのこと、広告などのマーケティングのセンスです。何がBMWらしさなのかを長年しっかりと捉えられています。
そんなBMWに、日本出身の生粋の日本人デザイナーがデザイン部門のディレクターとして配属されています。
BMWのデザインや彼の経歴について記述する前に、BMWのロゴと歴史に触れておこうと思います。
BMW(=Bayerische Motoren Werke)を知っとく
現在のBMWに限らず、今存在する多くの自動車製造企業の前身は全く違う企業であることがほとんどです。最も、日本で有名なトヨタも昔は車なんて作っていなかったという話は皆さんも御存知だと思います。BMWの前身は、航空機エンジンメーカーのRapp Motorenwerkeでした。
ちなみのその頃のロゴはこんな感じでした。(面影はなしですね。)
ロゴの商標はRapp Motorenwerkeにあります。
1913〜1917年にBMWが生まれる原因となったのは、第一次世界大戦や金融危機などで航空機よりも車の需要の方が増えるだろうと予想される経済へ移行したことでした。
当時のロゴによって、前身のイメージを払拭するために大きなチェンジをしました。
皆さんの頭に焼き付いている水色と白はバイエルンの国旗をイメージしてあります。現在に至るまでにロゴのマイナーチェンジは行われてきましたが、大きな変化はなく一貫した思想が代々受け継がれていることがわかります。
商標はBayerische Motoren Werke AGにあります。
デザイナー永島穣二を知る
1988年からBMWで活躍されているが、欧州でのキャリアはもう30年以上にもなるという。
1978年に武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科卒業後、ウェイン州立大学(Wayne State University )に進学した。1980年に同大学工業デザインの修士課程を修了。
最初に就職したのはオペル。アメリカ・デトロイトの大学を出た後、学校の先生のなかにオペルの上の方がおり1980年に入る。当時はまだ“西ドイツ”。そんな時代で、生産車にもたずさわったが、おもにコンセプトカーやラリーカーを担当した。
そして、就職4年目の時にルノーからヘッドハンティングされ、ルノーのデザイナーへ。(当時のルノーは国営で業績がかなり悪かったらしい・・・)そのルノーは3年間で退職し、BMWに入社。Z3とE30からBMWのデザイナー生活が始まった。
BMWという車
2017年の日本での販売台数は5万2527台で輸入車メーカーとしては2番手。
なによりも"FR"であることにこだわる。
そして直列6気筒エンジンにこだわる。
FRの駆動方式と50:50の前後重量配分でハンドリングにこだわる。
BMWは良いですね。笑